ベルギー議会に提出された『最新安楽死報告』にて、2004年に349人だった安楽死数が2017年には2309人に増加したことが報告されました。

「日本人は自殺好き」なんて諸外国では偏見を持たれていましたが、海外でも自殺者が増えてきているようです。
一方、スイスには自殺幇助団体が存在し、「最近は日本人の登録も増えている」などとの報道もされていました。

今回は、改めて安楽死というものについて考えていきたいと思います。

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安楽死とは

日本尊厳死協会にとると、安楽死とは以下のように定義されています。

安楽死は、医師など第三者が薬物などを使って患者の死期を積極的に早めること
日本尊厳死協会

一方、尊厳死を延命措置を断わって自然死を迎えることとしており、日本では原則安楽死を認めていないとも述べています。

人はなぜ自殺をしたがる?

世界で初めて自殺に関する研究をした社会学の権威エミール・デュルケームは、『自殺論』にて人が自殺する理由について研究したのは、有名な話です。

デュルケームは、「自殺をした時期」「曜日」「時間帯」「職業」などの統計を取り、これらから「社会との関係の希薄さ故に人は自殺をする」ということを推察しました。

その他様々な統計をとっていますが、本頁では割愛させていただく。ともかく、デュルケームは自殺には4種類があることを導き出しました。

  1. 個人と社会との結びつきが「弱い」から起こる『自己本位的自殺』
  2. 個人と社会との結びつきが「強い」から起こる『集団本位的自殺』
  3. 社会が個人の欲望を「抑制しない」から起こる『アノミー的自殺』
  4. 社会が個人の欲望を「抑え込む」から起こる『宿命的自殺』

自殺論

社会や個人の闘争に追い込まれて自殺をすることについては、なんとなく想像ができるのですが、ここで注目すべきなのは『アノミー的自殺』『自己本位的自殺』です。

戦時中ではなく平和な時期、しかも8月~9月にかけて(ヨーロッパでは温暖で最も過ごしやすい時期)、日曜日に、そしてより社会的な立場が強い人ほど自殺しやすいという「事実」を発見したのです。

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孤独感が人を自殺に駆り立てる

豊かな暮らしを手に入れ、そして平和で暮らしやすい時期というのは、「個人と社会との結びつきが希薄になる時期」でもあります。

アドルフ・ヒトラーが扇動したナチスドイツは熱狂的な社会。この時、人々はアメリカという共通の敵を持ち、ヒトラーのカリスマ性に熱狂しました。この時代のドイツにおける自殺者は非常に少なかったとも言われています。

こういった背景から、「人は幸福であっても社会とのつながりの薄さを感じると自殺する」という考察がされるのです。

安楽死は認めるべきなのか?

現在世界でも安楽死が認められているのは少数で、注射によって自殺者が望んで安楽死をすることを認めている国はオランダやベルギーくらいのものです。

一方、病気などが原因で植物状態になった人間の延命装置などを停止する「消極的な安楽死」を認めているのはスイスだ。このスイスには、自殺幇助を行う団体も存在しており、国内でも安楽死志願者が増加していると発表している。

ここには毎年安楽死を願う患者が集まるそうだ。

個人の意志が重要

この手の問題は、非常に難しい。

本人が安楽死を望んでいるのであれば個人の意志が尊重されるべきではあるが、筋肉が動かなくなり、意志表示ができない患者だって複数いるのだ。

そうなったときに、どのようにして欲しいのか、前もって何かしらの記録をつけておき、意思表示をしておくことも重要なのではないだろうか。

生と死は近くにあって良いのか

しかし、いかに個人の意志が重要だと言っても、なんでもかんでも安楽死を容認してしまうのもいかがなものかと考える。

例えば、某広告代理店の女性社員が過重労働に耐えかねて自らの道を閉ざしたことは読者諸君も記憶に新しいのではないでしょうか。
非常に悲痛な事件であったし、筆者自身もそういった労働環境を経験してきたので、気持ちは痛いほど分かる。

ともあれ、死という道を安易に選べるような社会が実現してしまうと、逆に自殺者も増えてしまうのではないかと思う。

安楽死があまりに身近な環境にあると、言い方は悪いが「気軽に」死を選択することだってできてしまうのだ。
私自身実体験したからこそわかるのだが、過重労働によって麻痺した精神は、意図も簡単にその道を選ぶ気がしてならないのです。

終わらない議論

本来なら「個人の自由」と冷徹に片付けてしまうことが最も利口な方法なのであろうが、どのような選択をしても必ず反対はは出てくる。

その度にこういった議論がされるのだろうが、なんとも決着がつけがたいものです。

とはいえ、個人というミクロな視点に立てば、明確な意思表示をしておくことは重要だと思います。
安楽死が認められようが認められまいが、社会がどうなろうが、個人の意見こそ尊重されるべきだと――筆者はそう思います。

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